みかこログ

雑記や日記

闇?病み?

自分の中の自己肯定感の天秤が極端すぎて

何とも誰ともいられないと思うときが夜って多々ない?

という深夜の独り言。

でも人の笑顔を見るのは好きだから頑張ったり

不器用なりに必死には生きてるけど私も人間だから

死んでも生きても結局何も変わらなくて同じ毎日がすぎるだけで

自分の価値が少しでもあるとはまったく思ってないんだよな。

支えるものを作れれば変われるのかもしれないと思っても

そう簡単にはうまくいかないようにできてるのも知ってる。

まあいつか死んでも誰も悲しまないように頑張って生きているよ。

 

※個人的な考えだから反転でみてね

他人に理解を求めた時点で終わってんのかもしれないけど

人は人で私は私なんだけどそれ以上じゃないから

絶対わかり会えることもないし、価値観を似せることはできても

同じにはならないし同じになるとつまらないって人間はいうけど

でも不安を抱えた人間同士が価値観が同じになったときに共依存するのを考えると

みんなけっきょく孤独になるのは怖いんだなって思う。

幸せの基準が人によってまったく違うのも本来はバグじゃないけど

持病的にはバグになっちゃって思考がまとまらなくなるからあぁ…ってなって

良し悪しの境界線までどんどんバグってくんだよね

でもどの私だって意識がある分辛いし生きてなきゃいけないけど

死にたさのほうが上回る日が多いのも事実なわけでさ

これはいいね、これはだめだねって約束を守り合える間柄ならいいんだろうけど

約束は口約束にしかならないって綺麗事だっていうのも大人になると知りすぎる。

だったら大人になんかなりたくなかったなって思うけど

みんな同じ時間を過ごして年をとることについては平等だから

時間は残酷だけどPTSDも時間をいくらかけてもなおらないし、医者によって

病名がかわったり診療拒否だったり入院施設がないとダメって診療拒否されるのも

実際にあるし本気で自分の価値について考えたら終わりなんだよね。

毎日生きてるのも細い線の上を必死にいきてるんだけど時々落ちたら

笑う人間もいるよ、全ての人間に好かれるなんて思ってない

でも死んだらそういう人は何を思うんだろうってふと思うわ

そんなことで喜んじゃうぐらい人生に余裕もなにもないから人の不幸でしか

喜べないのか、自分の嫌いなものよりも自分の好きなものに目を向けれる

余裕があるならそっちを必死にやったほうが幸せなんじゃないのって思う。

同意できない人間を排除したところできっと手のひらなんてすぐ返すんだからさ。

ああくだらないな、人生って、だって孤独になりたくないだけだなって時々自分ですら思うし自己中だ。